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生活に飽きたので、水蒸気屋さんを始めた。近所の喫茶店が先日潰れたので、そこを借りた。そう広くない店内に、机や棚をいくつか。加湿器、ケトル、電気ポット、ガスコンロとやかん、アルコールランプとフラスコ、果ては炊飯器まで、水蒸気の出るものを集めて並べた。全てのスイッチを入れると、部屋中水蒸気で満たされて、私は満足した。喫茶店にするつもりはなかったが、温かい飲み物だけ、数種類出すことにした。湯気が出るからだ。

こんな店でも、しばらく開けていると客が来るもので、物好きな人間が日に二、三人来る。いつしか常連のようなものもついて、私は毎日水蒸気を眺めながら、時折コーヒーを振舞ったりして過ごしている。

今日来たのは、若い女性だった。初めて見る顔だった。入った途端、驚いたように目を見開き、それから一瞬だけ悲しげな表情を見せた。席について、紅茶を注文した。私は、飲むには熱すぎる温度で紅茶を淹れる。正しい紅茶の淹れ方など、ここでは無意味だ。味など二の次で、立ち上る水蒸気を見るために淹れるのだから。

彼女はぼんやりと水蒸気を眺めている。紅茶を持って行くついでに、一言だけ声をかけた。そのケトル、気に入ってるんですよ。

こちらを見て、またケトルを見て、彼女は突然涙を溢した。私は驚いて、一歩後ずさる。

「すみません。違うんです」

何が違うのかはわからなかったが、私は頷く。

「猫が……飼っていた猫が、湯気を見るのが好きで」

私は全てを察して、もう一度頷く。

「あの子は、ああやってお湯を沸かすと、湯気をずっと見ていて。でも私、一緒に見てあげたことがなかった。あの子、こんな気持ちで、湯気見てたんですかね」

答えることはできなかったが、私も隣で湯気を見た。ゆらりゆらりと形を変えて、柔らかく流れる白と透明の布が、溶けて消える。

彼女は静かに泣きながら、しばらく水蒸気を眺めていた。その横の机にふと、猫が座っているように見えて、私は慌てて瞬きをする。紅茶から立ち上る湯気が、猫の背中を形作ったように見えただけだった。ほっとして、少しだけ考えて、それから少しだけ落ち込んだ。

紅茶が冷めた頃、彼女は店を出た。最後に、丁寧に頭を下げて、「ありがとうございました」と言った。こんな店をやってるだけで、人から感謝されることがあるのだな、と、ぼんやり思った。