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キャラクターを深掘りする時、どこまで決めていいかわからない。

正しくはどこまでも深められるのでやめどきがわからない。やったことはないが、恐らく許されるなら無限にキャラクターの深掘りをすると思う。

話を作る前にキャラクターを作ることは、実は少ない。大筋があってキャラクターを作る、ことが多い。キャラクターから作ろうとすると、そこで物語が爆誕して、物語のマトリョーシカになることもしばしばある。物語のマトリョーシカってなんだよ。

名前、性別、年齢、職業、トラウマ、好きなもの、こだわり、食生活、金銭感覚、爪を切る頻度、風呂でどこから洗うか。全部決めたい。時間が足りない。常々思うが、何故時間は永遠ではないのだろうか。

決め始めたら止められないので、初めから決めないこともある。名前のないキャラクターが、自分の作品には多い。「僕」あるいは「男」、職業で呼ばれるキャラクターなど。存外そういうキャラが気に入っている。中身がないものは軽くて運びやすい。蓋が閉まっていれば、気になる人は勝手に中身を想像してくれるし、気にしない人は何も思わない。

とはいえキャラクターを作るのは好きだ。名前を考えるのが特に好きで、名前だけあるキャラクターもいる。キャラクター性と名前、どちらが先かは、タマゴとニワトリだと思っている。名は体を表すし、体は名を表す。実在する人物も例外ではない。知らんけど。関係ないが、競走馬に馬ではない生き物の名前がつけられているとおもしろいなと感じるし共感も得られるのに、人名に人以外の生き物の名前が入ってても全然気にされないのは何故なのか。

長く同じキャラを使っていると、必然キャラクター性も深まるだろうということは、想像に難くない。ワンピースのキャラクター設定一覧を見た時の絶望感といったら忘れられないものだ。何年も一問一答に答えていたら、そりゃああもなる。「ルフィのイメージ国」って言葉、マジで何。ただし忘れてはいけない、キャラクターを深掘りすればするほど良いキャラクターになるとは限らないのだ。塩だけで食う方が美味い肉もある。深掘りするほど人間性が浅くなるキャラクターもいる。たぶんこれも、実在する人物も例外ではないのだろう。

なんにせよ、キャラクタークリエイトは趣味の一つみたいなものだ。人類愛の表れとも言える。一生キャラクリだけやりて〜。