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一番寺先輩が結婚するらしい。
一番寺先輩というのは、私の中学時代の先輩だ。一応新聞部の直属の先輩だったけれど、特別仲良くしてもらったわけではない。地味な生徒ばかりの新聞部において、一番寺先輩は有名人だった。絶妙に下手な関西弁、軽快なトーク、天才的な空気を読む能力、誰に対しても当たり障りなく、どんな雰囲気も自分の土俵に変え、それでいて悪目立ちはしない。やけにオカルトや都市伝説に詳しい。野暮ったく伸ばした黒髪が、丸眼鏡にかかるほどで、けれどその向こうの顔はそこそこ整っている。
部の内外を問わず、また学年を跨いで、彼のことを知る生徒は多かった。友達の話に登場することが多いのだろう。それから文化祭や体育祭なんかで、じわじわと彼の知名度は上がっていた。そんな中私は、周囲の生徒が噂をするのを、隣で素知らぬ顔をして聞いたりしていた。
「一番寺先輩って、ホントおもしろいよね」
「こないだの文化祭、号外新聞配ってたじゃん? あの記事全部、一番寺先輩の作ったフェイクニュースらしいよ」
「やば! 狂ってんじゃん」
「でもカッコいいよね〜彼女いんのかな」
「居ないっしょ! てか彼女になったら大変そう」
「わかる〜」
馬鹿馬鹿しい。当時の私はそんな風に一蹴して、とっととその場を離れた。一番寺先輩が恋愛なんかに興味を持つはずがない。あの人が愛しているのは、人間の恐怖心と、おもしろい嘘と、彼自身だけだ。
その一番寺先輩が、結婚するらしい。
卒業後は直接連絡を取ったこともなくて、人伝に最近の動向を時々聞くくらいだった。高校ではオカルト研究部を立ち上げたとか。大学はそこそこ良いところに行ったとか。鍵付きのツイッターアカウントとか。就職は関東とか。ネットニュースのライターになったとか。記事がバズってるとか。炎上したとか。
その度に、元気だなぁなんて思っていた。
「めちゃ美人らしいよ、結婚相手」
久しぶりに会った同級生が、にやにやと私を見る。
「しかも二年付き合って結婚とか、ヤバくない?」
ヤバいね、と私も答える。彼女のヤバいと私のヤバいは、果たして同義だろうか。
「風見、先輩と仲良かったじゃん。なんか思うところないの?」
……ああ。なるほど。そこで初めて、私は期待されている反応を知る。けれど残念ながら、私は先輩と特別仲良くした覚えはない。
「嘘! よく話してたのに」
馬鹿な女。先輩は誰にだってああなんだよ。私が特別なんて、思い上がりも甚だしい。先輩のこと、何も知らない癖に。
一番寺先輩の卒業式の日。寄せ書きたっぷりの色紙と、花束を抱えて、全てのボタンを失った先輩が、私のところに来た。
「風見ィ、新聞部のこと、頼んだで」
いつもと変わらない、胡散臭い笑みを浮かべ。
「お前は僕の一番弟子やからな。一番寺の一番弟子ってな」
彼は大声で笑った。私は笑わなかった。
「それ、全員に言って回ってるんだとしたら、相当サムいっすよ」
「いやちゃうねん。お前にしか言えんギャグやから、お前に言いに来たんよ」
調子の良いことを。けれど確かに、部内で一番、先輩とオカルトの話をできるのは私だった。私も都市伝説とかネット掲示板の怖い話が好きだったから。だから先輩のこと、尊敬していた。
そのあと──どうしたっけ。何を話したっけ。何も覚えていないけれど。
一番寺先輩が結婚するらしい。
美人の、二年付き合った女と。
結局勝ち組じゃないか。
つまらないな。
もう顔も半ば思い出せない先輩のことをぼんやりと考え、私は溜息をついた。
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収集癖があるので、部屋に物がどんどん増える。しかも飾っておきたい派なので、地震が起きたらまず間違いなくこの部屋は終わる。
さすがに全てを飾るのは無理なので、ある程度棚にしまっているが、本音を言うと全部飾りたい。アクセサリー、本、グッズ、香水、服、全て見えるところに置いておきたい。そういうコンセプトの部屋があったら絶対に住みたい。デザイン関係の人、よろしくお願いします。
しかしまあ、生きていればいるほど増えていくこれらのモノに、不安が芽生えることもある。自分が死んだら、この膨大な量のモノはどうなるのだろうか。棺桶ってどれくらいまでものを詰めて良いのだろう。火葬場の棺桶エレベーターみたいなヤツで、ブザーが鳴ったら最悪だな。というかあまり異物を入れてはいけないものなのだろうか。よく考えたら、良くない煙とか出そうだ。死んでなお地球を汚染したくはない。
理想の葬式についてはよく考えるのだが、遺品の処理についてはこれまであまり考えてこなかった。案外モノに執着はないのだ。集めることとそれを眺めることが好きなだけで、その行く末がどうなるかなんて考えられない。逆に言えば、“いずれ捨てるから”とかいう理由でモノを買わない、という選択肢もない。今欲しいモノを、今欲しいだけ。至極普通の行動だ。
そんな性質のせいか否かはわからないが、買って後悔したものはない。買わずに後悔することばかりだったので、最近は迷ったらなるべく買うようにしている。そうして部屋にモノが増えていく。実に幸福だ。
こうしてまた、理想の葬式のアイデアが一つ増えた。いずれこの部屋が本当に欲しいモノで溢れた時、この部屋で死んで、そのまま部屋ごと火葬されたい。さぞ近所迷惑だろう。やっぱりこの案は無しだ。死に方は普通に限る。
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気がつくと世界に一人になっていた。悪くない気分だった。元々一人で過ごすのは嫌いじゃない。完全なる孤独の世界は、寂しさよりもむしろおもしろささえ感じさせた。
街並みは全て油絵に変わっていた。絵の具の凹凸を指で撫でると、猫の舌が思い出された。猫が居れば良いな、と思い辺りを見回したが、何の気配もなかった。生き物はみないなくなってしまったらしい。仕方ないので、また歩き始める。
森に入ると、木漏れ日が眩しい。天気が良い。ついさっきまで曇り空だったはずなのに、街を出てこの森に来た途端、真夏日のように明るくなった。心なしか気温も高い。木々のざわめきが話し声に聞こえて、そんなはずはないのに、それを解読しようと試みる。かろうじて、花火大会の開催が危ぶまれている、といったような内容を聞き取れた。こんなご時世だ、仕方ないことだろう。
森を抜けると夜になっていた。ガラス張りの大きな建物が見えてきたので、暗闇の中、微かな街灯を頼りに向かう。内部はひんやりと静かで、高い天井からいくつものモービルがぶら下がっている。星を象ったクッキーが付いているようだ。思い出したように空腹を感じて、しかしぶら下げられたクッキーを食べたいとは思えず、建物を進んでいく。
ガラス張りの建物は、外から見るよりも広い内部をしていた。よくよく考えたら、こんなに広いはずがない。もはや入り口も出口もわからないまま、いつまでも彷徨い続ける。遠くから何か、美味しい匂いがする。マクドナルドの気がする。サムライマックが食べたい。つられてそちらに向かうと、黒猫がいた。嬉しくなって抱きしめると、柔らかく温かい。焼きたてのパンのようなその匂いを嗅いでいると、猫が喋った。
「それにしても、こんな時に花火大会だなんて、呑気な連中も居たもんだな」
本当にね、と呟き、その長い尾をくるくると弄んだ。
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競馬に負けたので今日の更新はありません。
と言いたかったのだが、せっかく競馬に負けたので、少しだけ競馬の話をすることにした。
競馬のことは、宗教であり、音楽であり、芸術であり、ドラマであり、人生だと思っている。オタクっぽく言うと「無理……最高」である。
こんな風になったのは十五の時だ。高校合格を祝ってか何か知らないが、父親が休日に珍しく私を誘い、連れて行かれた先が競馬場だった。重賞レースもない普通の日だったのは、今思うと幸運だったのだろう。人の殆どいない観客席の最前列で、食いつくようにターフを見た。
あの日のことを、生涯忘れはしないだろう。駆ける馬のしなやかな肉、脈打つ血管、泡立った汗、流星のような尾、地を揺らす足音。
私は競馬に狂ってしまった。
それから必死になって動画を見た。幸か不幸か、インターネットで情報収集するのは、同年代と比べても比較的得意だった。ものの見事に私は競馬にハマった。父親が引いていた。ふざけるな。
一週間後。2012年皐月賞。私はある馬の虜になり、さらに人生を狂わされることになる。
この先の話は、ここでは控えるが、それ以来もう十年近くも競馬に狂い続けている。世情も自身も様々変わったが、競馬に抱く思いだけは変わらなかった。美しく、命懸けで、血と土に塗れた唯一無二の瞬間。競馬は救いだ。
そんなわけで今日も競馬を見る。来週も見る。来年も見るだろう。たぶん、死ぬまで。だって救済だから。
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他人に泣かれるのがめちゃくちゃ苦手だ。
泣いている人に対して、どう対応するのが正解かわからない。何の根拠もなく大丈夫だよ〜なんて言ってみたりする。何も大丈夫ではない。こっちが一番大丈夫ではない。
居た堪れないので、落ち着くまで一人にしてあげる、みたいな、完全に偽善の対応を取ったりする。目の前で泣かないでくれ。泣き止んだら呼んでくれ。
それがどんな理由であれ、他人に泣かれるのが苦手だ。だいたい、体液を人前で流すのって、物凄い怖いし。汗でさえあんまり人前でかきたくないし。他人のものなんてなお一層怖い。
一緒になって泣いてる人とか見ると、むしろ安心する。お任せします。私に出来ることはもうありません。
逆に自分が泣くのは全然怖くない。一緒になって泣かれるとびっくりする。泣かないでくれ。
というか年々涙腺が緩くなっている。それは普通だから別に構わないけれど、いつまで経ってももらい泣きはしない。泣いてる人が苦手だから。誰も俺の前で泣くな。俺だけ泣いていたいから。